カルカッシとソル(セゴビア編)の練習曲集の違い

先日のレッスンでセゴビア編のソルの20の練習曲集を終えることができましたので、私的に喜びを表しております。

ここからが始まりなんですけど・・・

レッスン課題として一通りの合格をいただけたというだけであって、人前でよく弾けるかというのはまた別問題です。

師匠がそれとなく仰るのは、

このまましっかり弾き込めば、人前で弾いてもしっかり聴いてもらえるくらいになってるから。

ということで、これが課題としての合格基準です。

ミスタッチが散見されると、それも不合格になってしまうんですけど、音楽的にこのまま繰り返し弾いていけば大丈夫というところまで弾ければ合格させてもらえます。

この合格基準に関しては自分でも納得しているので、というか「納得できなかったことは今までない」ので、指摘されたことを直しながら、俯瞰的に自分を見て練習しています。

カルカッシの練習曲との違い

さて、ブログなんで、「客観的事実に基づいていない」ということは十分に理解していただいているとして、カルカッシ25の練習曲集(Op.60)とソルの20の練習曲集(セゴビア編)の2つの練習曲集の違いを挙げます。

いつぞやに「なんでカルカッシの練習曲をやらないといけないのか」みたいなことも書きました。
両方の曲集に一区切りをつけた今、改めてその違いや練習効果なんかを振り返ります。

全体的な比較として難易度はソルが高め

曲が作られた経緯から考えて、やはり曲集としてはカルカッシの方が比較的優しく、ソルの方が難しいです。カルカッシの曲集は練習のための曲、ソルの曲集は聞かせる作品を練習曲集として当てがった。
その雰囲気が反映された感じですね。

カルカッシの曲集でやってよかったところ、苦労したところ

・自分はある程度弾けると思ってた根拠のない自信を見事にへし折ってくれた。
 (左手も右手も思うように動いていないことに気づかされた)
・半音階やスケールに基づいたようなメロディも多く、丁寧に弾くだけで十分な練習になる。
・↑左右の指の独立を促してくれる。
・人前で弾くには、少し物足りない曲もあるにはあるけれど、それは派手な曲との比較に過ぎなくて、きっちり弾けば、玄人ウケはする。

ソルの曲集で苦労したところ、やってよかったところ

・曲集の1番から心が折れるような声部の弾き分けを求められる。
・左手のセーハやストレッチを求めらる箇所が多く、繰り返し記号が見えると絶望的な気分になる。
・「月光」や「夢」の通称で知られる比較的優しい曲もある。
・人前で演奏しても、聞き応えのある曲が多く、それだけ難しい。
・声部の音のバランスやフレーズの取り方、曲に対する考え方などの基礎が身に付く。

単純に上手くなっている自分に気づく

細かなことを言えば、両方の曲集に関することはまだまだたくさんあります。けれど、この曲集を一通り弾いてみて、弾く前と比較すると「かなり上手くなった自分」がそこに居ますね。

左右の指がよく動くようになった、というのもあるし、
楽譜を見る目が変わった←それだけ曲として意識する部分が見えてきた、というのもあるし、
他の曲に取り組んだ時に生かされる部分がとても多くあります。特にソルの曲集は。

以前、福田進一さんが「ソル全曲くらいやらないと」みたいなことを書かれてた記事を読んだことがあります。(そのことを書いた記事は、私がこのブログを引っ越しさせるときに、消してしまったように思います。)
それは、納得ですね。ソルだけ弾けば良いってものではないですけど、学ぶところは多い曲集です。

今後の練習

師匠から課せられる曲はこれで一旦区切りがつきました。じゃあ、自分の好きな曲を弾くのかといえば、そういうわけにもいかなくて、やっぱりギターを弾くなら弾いておきたい曲があります。

最近のコンサートプログラムにはあまり載らなくなってしまいましたが、カタロニア民謡やタレガの小品なんかはツボを知って弾けるようになっておきたいです。

まずは、「盗賊の唄」かな。

調べてみると「盗賊の唄」や「アメリアの遺言」以外に、弾いてみたいカタロニア民謡がいくつかあったので、何曲かはやっておきたいですね。

ゲーリーライアンとか現代の曲とかバッハも弾きたいんですけど…笑

終わりなき旅ですねぇ・・・。