大人は言い訳大臣

最近、何人かの小中学生の演奏を聴く機会がありましたので、
その時に感じたことをまとめます。 

鍛えるのか、鍛えられるのか

小中学生の演奏を聴かせてもらって、感想としては、一言、上手いなぁです。
よく、幼少期から習いごとを始めると、吸収や飲み込みが早く、
才能を開花させやすいと言われます。

これについて、若いから吸収が早いという一般的な認識が誤っていると感じました。

吸収力は個人によって違いますし、大人でも器用な人は習得していくペースは早いですし、
うちの長男がそうですが、早くから習っている割に、習得がゆっくりな人もいます。

では、子どもの演奏が皆上手く感じる理由は何か。
大人と何が違うのか。

それは、練習の質と量を管理する人がいるかどうかということです。

管理者の存在

子どもが習い事をすると、特に自宅で練習が必要なことは、親が管理せざるを得ません。

先生から言われたことを、子どもが勝手にやってくれたらラクですが、
それができるのは、よほどできたお子さんです。

大抵の場合は、親が口酸っぱくあれこれ言って、喧嘩しながら練習して
上手くなっていくわけです。

子どもにとっては、やらされ感いっぱいの練習かもしれませんが、
ただ、これが力をつけていると思います。

・できているかどうかを見られる
・できるまでやらされる、
・毎日決まった量を課される

大人は、よほど目的意識があっても、やらない理由を創造して、やらないのです。

・趣味だから楽しまないと
 →つまらない練習はしたくない
・あの先生だと上手くなれない
 →弾けないのは他人のせい
・時間がない
 →実際子どもより自由な時間は少ないかもしれないが、練習そのものをやらない

丁寧に取り組めた人に先がある

趣味としてでも、自分の目標があるのなら、やればいいだけの話なのですよ。
教科書通り弾けるようになれば良いわけではありませんが、音符の音を出すということに関しては、
もっとシビアに取り組まないとなと思った次第です。